こんにちは。
葛飾区は新小岩の自転車大好き行政書士、野村です。
いや、大げさなタイトルですが、中身は大したコトないので悪しからず…(;^ω^)
自分が学生の頃ってバブルのしっぽで、まだ携帯が無かったんですよね。
で、何が言いたいかというと「それでも何となく連絡がついていた」ということです。
特段電話をしなくても何となく友人に会えていたし、待ち合わせもうまくいっていたなぁと。
クルマでつるんで走る際は、GPSなんてないので予め決めておいたSAなどのポイントで調整したり、後ろの友人の車が附いてきているか確認しながら走って、はぐれたら路肩によって待ってみたり、信号や踏切で分断されないように調整したりしていましたね。
万が一はぐれても何となく会えていた。
それは「明確に示さなくても相手のことを何となく理解できる能力」というものがあったのではないかなぁと。
今はコミュニケーションツールが発達したので、何でも明確になってしまって、そういった能力が不要になった。
いわば退化しているんじゃないかなーと、思ったんですね。
ニュータイプと逆の方向に向かって進んでいるのではないかと(笑)
テクノロジー以外でも「見える化」「ビジュアル化」で何でも明確になりすぎると、「想像力」「直感力」「洞察力」は衰えていくのかもしれません。
不寛容社会というのも、なんでも「見えちゃう」のが根っこにあるのかもしれませんね。
ホラ、大したことなかったでしょ♪(^O^)